:::白い巨塔:::

2004.3.

 ドラマ「白い巨塔」が終わった。
 大学病院の教授という地位、また、医療裁判という通常接点のあり得ない話題がテーマとなり、驚異的な視聴率を残した。
 そのなかで注目すべきは、やはり、同じ医師でありながら財前教授と里見先生の両極端の生き方だろう。  医師は患者を救うものという、理想へまっすぐに突き進む里見先生。権力という魔物に押しつぶされそうなりながら必死に生き抜いた財前教授。
 このドラマを見た人は自分はどっち派ということをすべからく考えたであろう。  かくいう私はやはり里見派。あんなにまっすぐに生きられたらと思う。「生きられたら」という希望も込めて里見先生をすばらしい、と。
 ということは、裏を返せば、現実は、世間のいろいろなしがらみやプレッシャーの中で、財前教授のような生き方になっているから、里見先生の生き方にあこがれや希望を抱くのかもしれない。
 ドラマの中では、いかにも悪物にされていた財前教授だけど、周囲に動かされている、踊らされているようにも見えるその生き方は、さみしくそしてかわいそうにさえ思う。
 ぼくはいまどちらの生き方に近いだろう。意識して生きることで、もっと自分らしく、自分の理想的な生き方ができるはず。まだ遅くない。

 これは、里見先生が、財前教授が訴えられた医療裁判控訴審で行った陳述。医療のあり方をわかりやすく述べていると思う。これを読んだ人は何を感じるでしょう。
「(佐々木さんの)死は避けられないものだったでしょう。しかし、心の準備のない一月と覚悟の上で過ごす一年。この違いは患者の人生にとってあまりに大きいのではないかと私には思います。  人は皆いつか死ぬものです。医療の現場で大切なのは、その死までの期間を患者がどのように生きるか、医師がそれをどのように手助けできるかということに尽きると思います。  今回のケースでは、佐々木さんが残された時間をどう過ごすかを自分で決めることが出来るようにすべきでした。  責任は財前先生一人ではなく、結局は彼の独断を許した私や大学病院のあり方そのものにあると、私はこの裁判を通じて感じています。」

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