:::京丹後市長選:::

2004.5.17

 昨日、京丹後市初代市長と市議会議員の選挙が行われた。
 市長候補には高校の同級生の父親が出馬し激戦を繰り広げた。しかし、そこには京都の片田舎とは思えないドラマが潜んでいた。

 もともと京都府の中でも先頭を切って丹後6町の合併ということで6町の首長はまとまった。そして、合併協議会の会長だった同級生の父親はその流れで市長候補に。しかし、いざ選挙が近づくとなると6町首長の思いはさまざまで、その足並みが乱れた。
 そこには、峰山町役場がそのまま新庁舎になるというのに、元網野町長を入らせたくないという思いがあったからか、峰山の有志が担ぎ上げたのは元官僚の若手(とはいえ44歳)。たしかに出身は峰山とはいえずっと丹後を離れ、合併などどこ吹く風だったに違いない。そんな人に白羽の矢がたった。

 はじめは同級生の父親も優勢だった。しかし、ぼくが思うに、コトはあの時から狂い始めていた。民主党が同級生の父親を推薦すると発表した日だ。するとその後すぐくらいに自民党京都府議連が対抗馬の元官僚候補を推薦すると発表。それにつづき公明党府議連も同じく元官僚候補を推薦。
 国政と同じ構図になった。
 しかし丹後では国政以上に民主党の知名度は低い。というか、根強い判官びいきで自民党のつく方を応援する。同級生の父親も自民党員のはずだが、推薦が対抗馬につくという異常事態。地元の人は逆に、自民党から推薦をもらえなかったのはなぜかと不信感さえ抱いていたかも知れない。
 すべてはそこで勝負が決まったのではないかとぼくは分析する。
 しかし、結果1,000票あまりの差で同級生の父親は負けた。ぼくはよくそこまで盛り返したものだと思った。  もともと自民党員だった、しかも元地元首長がその自民党から推薦をもらえないという事態は地元の人に「なにかあったのか?」と不信感すら抱かせたに違いない。加えて、対抗馬の応援に野中広務元自民党幹事長までが駆けつければ、もう決まりとしか言いようがない。

 同級生の父親が負けたのはそういった戦略ミスである。選挙参謀は何をしていたのか。一緒に地元首長として同級生の父親を担ぎ上げたぼくの父親は何をしていたのだろうか。
 選挙というのは見えない糸が絡み合っていろんな人間模様を作り上げまたシコリも生じさせる。
 とにかく、この先、丹後がよい町になるよう、祈るばかりである。

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